代表挨拶
Greeting
私たち株式会社アルバライフは昭和13年9月創業の佐藤建設工業株式会社から業務を継承し、平成17年からは社名をアルバライフとして、皆様方のあたたかい、ご支援、ご鞭撻のもと着実な発展を遂げ、今日の事業活動を展開するまでになりました。
弊社のこの発展を支えて参りましたのは、「時代のニーズを先取りし 柔軟な思想で創設する」をモットーにした敏速な企業活動にあると思います。
私たち建設業界は今、急速に「変化」を続ける真只中にあります。この変化とは、「人の変化」、「環境の変化」です。
「人の変化」とは、日本は現在急速な少子高齢化社会の中にあります。お年寄りの人口が増えることにより建設業界においても「やさしいものづくり」が必要とされています。
「環境の変化」とは、自然環境、社会環境、経済環境の変化です。この環境の変化に、創造的に対応することが企業の使命です。
私たち株式会社アルバライフは「人の変化」「環境の変化」に応じる街造り、住まい造りを創造的に高め進化させる「プロデュースカンパニー」でありたいと考えております。
また、社会環境の変化の一つに「働き方改革」への取り組みがあります。「育児や介護との両立」、「女性の活躍推進」を図り職員のニーズに応え、就業機会の拡大や意欲・能力を存分に発揮できる環境づくりを企業として推進することを宣言します。
株式会社アルバライフ
代表取締役社長 佐藤 一順
会社概要
Company
| 会社名 | 株式会社アルバライフ |
| 適格請求書発行事業者登録 | T4400001007751 |
| 代表者 | 代表取締役 社長 佐藤一順 代表取締役 副社長 佐藤和男 |
| 所在地 | 本社:〒028-5711 岩手県二戸市金田一字八ツ長88-5 TEL 0195-27-3330 FAX 0195-27-3579 |
| 資本金 | 9,000万円 |
| 特定建設業許可 | 許可番号 国土交通大臣許可 (特-5) 第25315号 許可年月日 令和5年12月4日 |
| 建設業の種類 | 土木、建築、とび・土工、管、塗装、鋼構造物、しゅんせつ、 造園、水道施設、解体工事業、その他各種工事業 |
| 一級建築士事務所 | 登録番号 第う(2802)1739号 登録年月日 令和5年2月18日(登録更新) |
| 主要取引先 | 岩手県、国土交通省、農林水産省、市町村、大豊建設、森本組、鴻池組、 岩田地崎建設 |
| 取引金融機関 | 岩手銀行、東北銀行、北日本銀行、青森みちのく銀行、 三菱東京UFJ銀行、みずほ銀行、商工中金、盛岡信用金庫 |
沿革
History
| 昭和13年9月 | 「佐藤建設」→「佐藤建設工業」→「アルバライフ」 ㈱アルバライフの創業母体である佐藤建設創業 |
| 昭和59年4月 | 会社設立 |
| 平成17年6月 | 一般建設業許可取得 |
| 平成19年9月 | 本格的に建設業に参入、資本金を4000万円に増資 |
| 平成19年11月 | 特定建設業許可取得(土木関連) |
| 平成20年1月 | 特定建設業許可取得(建築関連) |
| 平成20年5月 | 資本金を9000万円に増資 |
| 平成23年5月 | 盛岡営業所開設 |
| 平成24年3月 | 宮古営業所開設 |
| 平成24年5月 | 仙台営業所開設 |
| 平成26年2月 | 国土交通大臣許可へ移行 |
| 令和2年6月 | アルトラスター工場新設 |
営業所
Sales Offices
| 仙台営業所 | 〒981-3112 宮城県仙台市泉区八乙女1丁目4-1 TEL 022-776-0174 FAX 022-343-7886 |
| 盛岡営業所 | 〒020-0857 岩手県盛岡市北飯岡3丁目4-38-202 TEL 019-681-8891 FAX 019-681-8892 |
| 宮古営業所 | 〒027-0036 岩手県宮古市田鎖第2地割99番地 TEL 0193-69-3226 FAX 0193-69-3226 (※宮古営業所 ISO登録範囲外) |
グループ会社
Group Companies
| 社会福祉法人桂泉会 | <各施設> 特別養護老人ホーム「 浄心園 」 特別養護老人ホーム「 くつろぎの家 」 軽費老人ホーム「 ケアハウスまべち川 」 ケアセンターいずみ(きらり) 障がい者支援施設「太陽荘」 生活介護事業所「太陽の里」 くつろぎの家(訪問ヘルパー) 就労継続支援B型事業所「まんてんの里」 グループホーム「ほたるの郷」 障がい者支援施設「みやび」 つくし相談支援事業所 <本部> 〒028 -5711 岩手県二戸市金田一字上田面 301-1 TEL:0195-43-3100(みやび内) ホームページ:https://www.keisenkai.jp/ |
| 社団医療法人藤悠会 | 介護老人保健施設 こずやサンブルク 〒028-5221 岩手県二戸郡一戸町小鳥谷字野中21 TEL:0195-34-2006 FAX:0195-34-2007 ホームページ:https://kozuya-sunburg.jp/ |
| 佐藤車輛株式会社 | 〒028-6106 岩手県仁左平字北井沢41 TEL 0195-25-4635 FAX 0195-25-4956 ホームページ:グーネット内 ※旧サイトURLがグーネットの基本情報に記載中、削除の依頼をお願いします。 |
創業者・佐藤武四郎ヒストリー
History of Founder Takeshiro Sato
創業者 佐藤武四郎の生い立ち
1914(大正3)年 8月1日〜1967(昭和42)年7月8日

佐藤武四郎は、1914(大正3)年8月1日に父 佐藤春松と母 トラの四男として生まれました。明るく、困った人は助ける面倒見のいい性格だったと言われます。
武四郎は尋常高等小学校を卒業後、兄の春吉と共に樺太島(サハリン)で漁業に従事し、1936(昭和11)年(武四郎22歳)から建設に従事しました。
当時は、高度国防国家建設による急速な軍事化が進み、1937(昭和12)年には日中戦争が開始され、軍事施設の新設・拡張に拍車をかけました。そのような世相のなか、武四郎(24歳)は1938(昭和13)年、佐藤建設工業株式会社の前身、佐藤建設を創業しました。日中戦争の戦時下で三沢基地・八戸飛行場の建設に砕石等の製造と運搬や工事管理にも従事しました。
武四郎(27歳)の人生の大きな転機は太平洋戦争(1941 昭和16 年~1945 昭和20 年)の出征にありました。終戦により無事、故郷に生還するも、戦時中に死を目の当たりにして、「命の尊さ」を痛感し、自分は「生かされている」ことに気づき、周囲の人やものへの感謝の気持ちを持ち、困った人を見かけると、それまで以上に人助けをするようになったそうです。
終戦後、佐藤建設の仕事に戻った武四郎(31歳)は、橋の新設工事を行い、工事中に困っている周辺住民の家を無償で建設、寄贈したことから、当時の岩手県知事 国文謙吉から感謝され、額入りの名言「更生効果」を贈呈されました。以降、周辺住民から一層、信頼され、仁左平村の村議会議員(武四郎37歳~41歳)を務め、仁左平村の合併まで、村の行政にも貢献しました。
晩年は、人好きで杯を交わす機会も多く、身長160センチと小柄ながら、体重90キロの巨漢で、「ドラム缶」の愛称で周りの人達から慕われたとのことです。
武四郎の人生を一言で表すと「先義後利」になります。「先義後利」とは、中国戦国時代の思想家荀子の著書に由来し、「義を先にして利を後にする者は栄える」という意味で、道義や倫理を第一に考え、利益はその後からついてくるというものです。創業者の「先義後利」の精神は、今でも引き継がれています。
創業当時の世相
| 1936(昭和11)年 | 高度国防国家建設による急速な軍事化 インフレによる物価上昇はあったものの、景気は活況を呈し、軍需産業の設備投資は増大。軍事施設の新設・拡張も相次いで、建設業界も大いに繁栄した。 |
| 1937(昭和12)年 | 日中戦争の開始 日中戦争が開始され、以降8年間にわたる日本と中国の全面戦争となった。日中戦争の開始を機に、政府は国民を戦争体制に全面協力させるため、国民精神総動員運動を展開した。政府や軍の政策に対する言論・思想の統制を強化し、国民の私生活も統制した。 |
| 1938(昭和13)年 | 「国家総動員法」の成立と「国民徴用令」の公布 日中戦争下、当時の内閣は「国家総動員法」を成立させ、議会審議を経ることなく、資源の管理や労働力の徴用など、国民生活のあらゆる面を軍事目的で統制することが可能になった。39(昭和14)年7月には軍需工場などの重要産業に国民を強制的に従事させる「国民徴用令」が公布。国民の経済活動の自由は失われ、総動員体制が構築されていった。 ➣三沢基地の建設 1938(昭和13)年に旧日本海軍が建設開始、1942(昭和17)年に三沢海軍航空隊の飛行場として開設、 後に第524海軍航空隊(艦上爆撃・艦上攻撃航空隊)及び海軍練習航空隊が配備された。 ➣八戸飛行場の建設 1939(昭和14)年に旧日本陸軍が建設開始、1941(昭和16)年に日本陸軍飛行場として開港。 |
| 1941(昭和16)年 | 太平洋戦争の開始〈~1945(昭和20)年〉 日本は中国や東南アジアへ侵攻し、アメリカ・イギリス、オランダなど反対し、日本と連合国の戦争が始まった。 |
| 1949(昭和24)年 | 建設業法の制定 建設業法が制定され、29種類の業種 が建設工事の完成を請け負う場合に適用される法律。 目的は、「公共の福祉の増進」のためであり、建設業に携わる人の資質向上や、建設業の健全な発展のために生まれた。 |
創業者 佐藤武四郎の生い立ちと
会社の創業当時
| 1914(大正3)年 | 8月1日、父 佐藤春松 母 トラの四男として生誕。 |
| 1929(昭和4)年 | 3月尋常高等小学校を卒業(武四郎14歳)。 |
| 1929(昭和4)~ 1935(昭和10)年 | 兄 春吉と共に樺太島(サハリン)で漁業に従事(武四郎15~21歳)。 |
| 1936(昭和11)年 | 青森県八戸市の建設会社の現場に従事(武四郎22歳)。 |
| 1936(昭和11)年 | 妻 ヒサと結婚(武四郎22歳)。 |
| 1937(昭和12)年 | 9月21日、長男 義輝(創業2代目)の生誕(武四郎23歳)。 |
| 1938(昭和13)年 | 佐藤建設工業の前身 佐藤建設代表に就任(武四郎24歳)。 日中戦争のなか、青森県八戸市の建設会社の下請けとして、一戸町鳥越の砕石場での砕石等の製造し、トラックにて北福岡駅まで運搬。駅から汽車で輸送で三沢基地、八戸飛行場の建設工事に納入し、また工事管理にも行っていた。当時の砕石場には、一般作業員のみならず、「国家総動員法」の施行により、学徒動員、朝鮮人等、総勢300人が従事していた。 |
| 1941(昭和16)~ 1945(昭和20)年 | 太平洋戦争に出征し、終戦により横須賀で除隊(武四郎27~31歳)。 |
| 1949(昭和24)年 | 佐藤建設の建設業許可登録 |
| 1950(昭和25)年 | 岩手県知事から名言額の贈呈(武四郎36歳) 旧八ッ矢橋工事の際、周辺住民へ家を無償で建設、寄贈したことから、当時の岩手県知事 国分謙吉〈公選初代/二戸市出身/任期1947(昭和22)年~1955(昭和30)年〉から額入りの名言「更生光明」を贈呈される。↓ |

| 1951(昭和26)年 | 仁左平村村議会議員に就任(武四郎37歳)。 |
| 1955(昭和30)年 | 仁左平村合併により村議を退任(武四郎41歳)。 |
| 1967(昭和42)年 | 7月8日、逝去(武四郎 享年53歳) |















